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新、裏日記
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看護師になった動機は、私の場合、かぎりなく他人任せ(笑)


ウチの親は資格がないことでさんざん仕事で困窮したらしく、事あろうごとに、
娘の私には「仕事は資格あるものがエエ!」と言っていた。
保育園の卒園アルバムに拙い字で、『看護師になりたい』と書いた記憶がある。
けれど、今でも覚えてるけれどそう書いたのは、単純に、”親にそう言われたから”(笑)
これ書きながら思ったけど、「女は、仕事より結婚!」て価値観は、ウチの親には全くなかったのね!

で、進路を選択する段階に来たとき、進路指導の先生と親とが、
「これからは資格の時代になる」と言うようなことを話してて、
当の本人はそんな大人に引きずられる形で、看護学校に流れた。

ホント、不純他人任せな動機(笑)


ウチ、豊かじゃなかったし、確かに経済的に資格には随分助けられた。
だけど自身の20代はずっと、未来に違う職種を夢見てた(笑)

中学時代の親友やその両親に、「真弓ちゃんに、すごく向いてる職業」と言われようが、
同業者から「癒しの真弓」(爆)と言われようが、”向いてない!”と考えてやってた。
人間嫌いでもないけど、もともとは書道家etcなどのデスクワーク職(?)目指してた私が、
患者や、同業者や、医者や・・そんな広い人間関係はそもそも許容範囲を越えてる!
とずっと思ってた。


でも、それでも、現在まで仕事を続けられたのは、患者さんとの温かい関わり・・・
と言えばカッコいいけれど正直に言うとそれは二番目で(笑)一番目には同業者のおかげ。
20代の頃は、たくさん飲みに行ったし、たくさん夜遊びしたし、たくさんしごかれた。
例えば、昼食時間に患者の急変があると、先輩に「真弓、行って来い!」と言われ、
休憩室から病棟に放りだされるため、昼御飯を食い損なう。(爆) ×(かける)頻繁。
あの頃は、「先輩らは、自分が昼ごはんゆっくり食べたいからや!」と思ってたけれど、
今になってみれば、そこに愛があったのだと解る。 現場には、必ず先輩が少なく
とも一人、私に一緒について(介助して)いた。それに、生き死を分ける患者を
目の当たりにしている状況で、自分などの「おまけ」が居るより、先輩一人でこなした方が、
ずっと仕事は円滑にいった筈だから。

これを書くことにより昔を回想しているけれど・・・自分が考えているよりはるかに多く
先輩達から正面から影から、助けられてきたんだね。。


恋愛もしたし(同棲もしたし)みんなで遊びまくりもしたけど、一言で言うなら、私の20代は
仕事に生きた(笑)
だから、駆け出しの頃に出会った看護師たちは、先輩後輩同期を問わず、仲間と言うより、
”戦友”のような感じ。

「仕事に生きていた」から、その葛藤も殆んどが、仕事の出来・不出来の範疇だった。


そんなこんなで仕事を一通りこなせるようになったけど、安泰だと思いきや・・・ありゃ。



~~参に続く~~
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色んな科に配属した。
仲間が居て、学びがあり、生き生きと過ごした時期は、山ほどある。

そんな私がキャリアを得てから、仕事それ自体に生きがいを感じれた場所は
過去最近2年間だけ働いた、精神科だった。


             
             *       *



『看護学校を卒業したら、始めから精神科に就職』

今の若い看護師さん達には、割と居るようす。
精神科で在籍していた時に入職してきた新人に訊いたら、
クラスで何割かは同じのが居ると言ってた。

当時はあんまし、ポピュラーな選択じゃなかった。
初めから精神科って、私はナースの卵の頃から希望な人だけど。(笑)


精神科での実習の時、学生指導の看護師と師長に訊いた。
「私は精神科で働くことが目標なんですが、卒業して
いきなり初めから精神科で働く方が良いですか?
それとも、ある程度は一般科で救急を経験してから
働く方が良いのですか?」

学生指導者の言葉は忘れたけれど、師長さんはこう言った。
「それは人それぞれだよ。精神科は看護者の感性で行動する所だから、
若い看護婦は若いなりに、私みたいなおばさん看護婦はおばさんなりに、
働くことに意義がある場所。
または、一般科を経験してから精神科に来ることも、自分の
キャリアを積むことになるし、良いと思う。精神科は、一般科の急性期
を学べる機会が少ない場所であることも、確かだしね。
真弓さん。就職してくれるのだったら、卒業後すぐでもどうぞ!(笑)」



でも結局、自分は後者の一般科を取った。(笑)
某県と、某県某市の二箇所から借りていた奨学資金返済の都合上
が、その一番の理由。

某県某市の方の奨学資金は、当然ながら某市を離れたら即!借金返済
の羽目になるが、それがシャクだった。(某市で3年間働けば免除)
一方、某県の奨学資金は何故か、某県「一般科」で働いた場合と、
某県「精神科」で働いた場合とでは免除期間が違ってくるという、ヘンてこな
ルールだった。それぞれの期間はもう忘れたけど、精神科が2年多かった。
勿論、某市にも精神科はあったけど、あまり評判が良くなかった。


当時は、とにかく「金」。看護学生時代も病院関係の職場で
バイトしていたけど、でも卒業後は全くお金が残んなかった。(苦笑)
バイトで10万前後、奨学資金で5万円。トータル約15万で学生してて
そのうちの3万円を関西の実家へ仕送りしてたので、月10万前後が
私の学費兼、生活費だった。

そんなこんなで金(というか安定)を求めた私は、公立の総合病院に就職。
そこに通うのには車が必要だったので、中古で車を購入。
56万位の車を、月賦5年払いにしたので、計100万とちょっとの出費だった。
・・・この値段のバカバカしさは今でも忘れられねぇ(苦笑)



その病院で、奨学資金の免除期間を終えるまで限定で働くつもりが、
気がつけば10年近く在籍していた。
看護師・医師の仲間が居て、患者さんが居て、色んな人の繋がりが
あってこそ、過ごせたのだと思う。



ただただ、学びで遊びで、の生活(笑)



~~弐に続く~~
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プロフィール
HN:
真弓
性別:
女性
職業:
そのまんま(笑)
そのた:

※裏日記として公開していたものです。
ガブリ日記が閉鎖されるので、新たに
ブログを作り直しました。
ちなみに手作りなので、バグがあっても
知りません(爆

TOPの写真は、浦安の某ホテルから
撮ったものです。右に東京タワーが
見えます。


自己紹介:

絶対向いてない・・・(涙) と思いつつ、
いつの間にか十数年やっていた
「看護師オーラのない」女のひとりごと。
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