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新、裏日記
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本日、こういう記事が載っとりました。





「注射1人で出来ない」看護師学校の過半数で8割超す


新人看護師の看護技術低下が深刻化している。

 日本看護協会の調査では、人工呼吸、心臓マッサージ、止血など救急救命術や
注射などを「1人でできる卒業生が20%未満」という看護学校が半分を超えた。

 新人看護師による医療事故も少なくない。事態を重く見た厚生労働省の検討会は来週、
病院実習を大幅に増やすなど、看護教育カリキュラムの10年ぶりの見直しを議論する。

 「点滴を付けた患者の寝間着やシーツを1人で替えられない」「患者の搬送時、
ストレッチャーを真っすぐ押せない」。毎年4月になると、東大付属病院の榮木実枝
看護部長のもとに新人看護師を巡るトラブル報告が相次ぐ。「ここ5、6年、
シーツ交換など『これだけはできてほしい』ということができない人が増えた」と言う。





これって、新人看護師だけの責任かぁ??


学校、『理論主体』で学生を教える。
病院側、『新人は使いものになるまで数年かかる』と嘆く。



だけどそれは、そんなカリキュラムを学校に提供してきた大きなところ
(厚生省)の責任が大きいんじゃないのかね。



看護学生の”病院実習カリキュラム”は、一言でいっちゃえば『記録中心』実習。

昔も、そして多分今も、、ね。

実習期間は、睡眠が2時間前後しか取れないしー(苦笑)
ドリンク剤の、「眠気しゃっきり○ウロポン」なんて、本気で眠い時は
ぜ~ん然、効かないんだって身にしみて解ったし(爆)



数年前、ほんの少し看護学生を指導したことあったけど、私達の時代より
記録がさらに酷くなってた。
あんなことばかししてちゃ、技術なんて磨いてるヒマ取れないって。

冒頭で書いたように、現場の看護師さんは嘆いてたけど、かたやカリキュラム見て
「これじゃあしょうがないね・・・」と反面諦めてた。



現況を打破するには法律自体を改正しなきゃならん気がする。だけど、看護師を
取り巻く歴史も一筋縄で行かないから、問題には壁が多いだろうけど。

戦時頃のナース求められたのは、即戦力。だけど、戦後になり医療技術は
日進月歩で向上し、それと共に、看護学にも理論が求められる時代になった。




いつ頃からなんだろう?
「技術>知識」だったのが、いつの間にか「技術=知識」を越え、
「技術<知識」のカリキュラムになったのは。




看護師の地位向上を目指すため、邁進してきたけれど、何かを見落とした
ツケが回っているのかも。




省みる時期かもしれないね。
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看護師になった動機は、私の場合、かぎりなく他人任せ(笑)


ウチの親は資格がないことでさんざん仕事で困窮したらしく、事あろうごとに、
娘の私には「仕事は資格あるものがエエ!」と言っていた。
保育園の卒園アルバムに拙い字で、『看護師になりたい』と書いた記憶がある。
けれど、今でも覚えてるけれどそう書いたのは、単純に、”親にそう言われたから”(笑)
これ書きながら思ったけど、「女は、仕事より結婚!」て価値観は、ウチの親には全くなかったのね!

で、進路を選択する段階に来たとき、進路指導の先生と親とが、
「これからは資格の時代になる」と言うようなことを話してて、
当の本人はそんな大人に引きずられる形で、看護学校に流れた。

ホント、不純他人任せな動機(笑)


ウチ、豊かじゃなかったし、確かに経済的に資格には随分助けられた。
だけど自身の20代はずっと、未来に違う職種を夢見てた(笑)

中学時代の親友やその両親に、「真弓ちゃんに、すごく向いてる職業」と言われようが、
同業者から「癒しの真弓」(爆)と言われようが、”向いてない!”と考えてやってた。
人間嫌いでもないけど、もともとは書道家etcなどのデスクワーク職(?)目指してた私が、
患者や、同業者や、医者や・・そんな広い人間関係はそもそも許容範囲を越えてる!
とずっと思ってた。


でも、それでも、現在まで仕事を続けられたのは、患者さんとの温かい関わり・・・
と言えばカッコいいけれど正直に言うとそれは二番目で(笑)一番目には同業者のおかげ。
20代の頃は、たくさん飲みに行ったし、たくさん夜遊びしたし、たくさんしごかれた。
例えば、昼食時間に患者の急変があると、先輩に「真弓、行って来い!」と言われ、
休憩室から病棟に放りだされるため、昼御飯を食い損なう。(爆) ×(かける)頻繁。
あの頃は、「先輩らは、自分が昼ごはんゆっくり食べたいからや!」と思ってたけれど、
今になってみれば、そこに愛があったのだと解る。 現場には、必ず先輩が少なく
とも一人、私に一緒について(介助して)いた。それに、生き死を分ける患者を
目の当たりにしている状況で、自分などの「おまけ」が居るより、先輩一人でこなした方が、
ずっと仕事は円滑にいった筈だから。

これを書くことにより昔を回想しているけれど・・・自分が考えているよりはるかに多く
先輩達から正面から影から、助けられてきたんだね。。


恋愛もしたし(同棲もしたし)みんなで遊びまくりもしたけど、一言で言うなら、私の20代は
仕事に生きた(笑)
だから、駆け出しの頃に出会った看護師たちは、先輩後輩同期を問わず、仲間と言うより、
”戦友”のような感じ。

「仕事に生きていた」から、その葛藤も殆んどが、仕事の出来・不出来の範疇だった。


そんなこんなで仕事を一通りこなせるようになったけど、安泰だと思いきや・・・ありゃ。



~~参に続く~~
咳は治まったけど、意識がちょっと”ぽよよ~~ん”。

こー言う時、せっかくの連休だしゆっくり休めば良いものを
起きて活動したくなる気持ちになる人って、案外いるはず(笑)
連休なんて、久しぶりだしさー。

昼間なんて、羽根布団干して、シーツ洗っちゃったよー。

・・・夜、こんな熱出てくるとはな。計算違いだ(没)
こんなんだから、ナギから『ニセ看護師』言われちゃうんだよね、
きっと(爆笑)



発熱といえば、昔は人(というか霊)に憑依された時も、よく高熱を出してたなぁ。
とくに、親交の深かった患者さんが亡くなるときに。
憑依だとはっきり解るのは、高熱なのに、翌日には何ともなかったように、
身体が回復していること。
回復、というか・・・。身体が「熱なんて記憶にありませ~ん!」って感じ
の状態と言った方が正確かも。


あれから私もちょっと強くなったのか、今じゃ高熱は全くないなあ。
いつからか、それは線香の匂いに取って代わってた。
患者さんに、あちらからのお迎えが来てるとき、ぷ~んとする。看護師も
人間。そんな職業を選んだ自分の責任なんだけど、出来ることなら
人の臨終には当たりたくないのが、人としての本音。
そんな時は、「ああ、私の勤務時間の時に亡くなる・・」と、覚悟を決める。
線香の匂いの正確さは、歳を取るごとに敏感になってきた。
あまりに強烈な匂いの時は、隣に居る看護師仲間などに、後で
「線香の匂いしたよね?」
と聞くこともある。だけど、匂いしないんだって。。(苦笑)


敏感になってきたのは線香の匂いだけじゃない。
人により色んな体験の仕方があるんだろうけど、私は布団にもぐって
睡眠に入る、ちょっと前くらいの時に霊的な体験をすることが多い。

私は、声が聞こえるタイプじゃなくて、憑依してきてそれを感じ取るタイプ。
このタイプがゆえ、昨年末は、過去最低に恐ろしい体験をした。
(表の12月7日の、厄払いの日記参照。詳細は、表に書く予定)




でも、とてもいい体験もしてる。

ナギと付き合い始めた当初、彼女が生前とても愛してた人が
私のところに降りてきて、彼女の良さを(魂で?)つとと教えてもらい、
その方と一緒に号泣したエピソードがある。
ちなみに、その方との面識は、その時が初めて。


だからきっと、私は一生、ナギと一緒に居るんだろうな。。
最新記事
プロフィール
HN:
真弓
性別:
女性
職業:
そのまんま(笑)
そのた:

※裏日記として公開していたものです。
ガブリ日記が閉鎖されるので、新たに
ブログを作り直しました。
ちなみに手作りなので、バグがあっても
知りません(爆

TOPの写真は、浦安の某ホテルから
撮ったものです。右に東京タワーが
見えます。


自己紹介:

絶対向いてない・・・(涙) と思いつつ、
いつの間にか十数年やっていた
「看護師オーラのない」女のひとりごと。
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